何もわからないままにこの世界にやってきたけれど、ずっと忘れているわけじゃない。
目を閉じると浮かぶのは暗い地下牢と、対になったように眩しい光と桜の舞う城下町。
耳に響くのは平和を祈る鐘の音。
手に残るのは外の世界を知らなかった少年の生を絶った剣が肉を断つ感触。
ホントは救世主の儀式なんて平和を祈るためのものなんかじゃないのに何も知らずに喜ぶ人々。
ずっと続く国家同士の争い。

一人になると思い出してしまうこの記憶。
これは自分のいた世界の現実。
忘れたいわけじゃない。でもこんな辛い記憶は抱えていたくない。
救世主という使命。
一人でいると押しつぶされてしまいそう。

一人の夜は辛い。
一人の夜は恐い。
一人の夜は苦しい。

そんな気持ちを抱えて、俺はまた今日も一人ベッドの上で小さく体を丸めて眠れぬ夜を過ごす。

優しい歌

ここ数日銀朱率いる第三兵団は各国視察を兼ねた遠征に出ていた。
第三兵団は玄冬討伐が主な目的として設立された隊だが、玄冬を滅ぼさなくても良い今の時代でも
それなりに仕事があるのが現実だ。銀朱を妬んでいる貴族の手回しなのか何なのか、
やたらと第三兵団は危険だったり面倒だったりする任務が与えられることがあるが、銀朱はそれを誇りと思っている。
何故ならそういう任務を全う出来てこそ第三兵団を設立された意味があり、
陛下のお役に立てているのだと思っているからだ。
そして今日まで少し面倒な…というのは語弊があるかもしれないが、
他国との連携を保つため、陛下の信頼のある銀朱が自ら他国へ赴いてきたところだった。
平和なこの世の中だ。戦をするためでないのでそこまでの緊迫感はないものの、大きな任務を終えて彩の城門が見えた頃には
銀朱は知らずに安堵の溜め息を洩らした。夜になって冷え込んできた外気に白い息が舞う。
「銀朱隊長、お疲れになりましたか?」
斜め後ろに従っていた雨槻が声をかけてきた。
「…いや、そんなことはない。済まないな、そんな心配をかけさせて…」
部下に心配をかけさせるなど、軍を統率するものとして指揮を乱してしまう。
そう思い思わず頭を下げようとしたところ、雨槻が慌てて「やめてくださいよ隊長。」と諌めてきた。
「長く自国を離れていたのです。しかも隊長は他国の重鎮の方々との会合や何やらで心労が大きいでしょう。
 今日は早めにお休みください。報告書は私達でやっておきますから。」
雨槻がそう言うと、そのすぐ後ろについていた彼草が身を乗り出し、
「そうですよ銀朱隊長!あまり無理をなされてはいけません。でないと俺達は…」
必死な形相でそこまで心配されては銀朱も従うしかない。
「…わかった。それじゃぁ、陛下に遠征の御報告を終えたら早めに休ませてもらおう。」
そう言うと、今まで静かに見守っていた他の兵達からもほっとした声が漏れたのが聞こえた。
本当に上官想いの部下達だ。銀朱はそのことに照れくさいながらも感謝をしつつ、
ずっと長旅で歩き通しだった愛馬を労うように首を数度叩いてやると、目の前に迫った城門を見上げた。

銀朱は彩の国王に簡単に遠征の報告をした後は少しだけ執務室の方で残りの仕事をしたが
部下の視線に後押しされるようにすぐに兵舎に向かうことになった。
本当は自宅の方に帰って久しぶりに家族の顔を見たい気もしたが、夜も大分更けていたので
兵舎の、割り当てられている自室に戻った。
時間がよほど遅くならない限りは自宅に帰る銀朱の兵舎の部屋には寝るためのベッドと小さな本棚とテーブル、
そして着替えが数点収納されている衣装箪笥くらいしか物はない。
それでも銀朱個人だけの空間だ。外で泊まるよりも全然落ち着ける。
久方振りに帰った我が家とも呼べる部屋に辿りつくと銀朱は旅装束やら軍服やらを傍にある椅子や机にかけ、
ベッドの傍らにブーツを脱ぎ捨てるとそのままベッドに倒れこんだ。柔らかい布団の感触を感じると
自然と睡魔が襲ってくる。部下の前では虚勢を張っていたが、やはり疲れていたようだ。
しかしこのまま眠ってしまえば風邪をひいてしまうので、重い瞼を必死で持ち上げながら
しっかりと布団に潜り込むと銀朱はすぐに意識を手放した。

体を包み込むものに違和感を感じたのはどれくらい経ってからだろうか。
銀朱の意識がふと浮上して、違和感の元を探ろうとする。
今まで柔らかく体を包んでいた思われる布団ではなく、自分の上に被さっていたのは人だった。
「………救世主…?」
「やぁタイチョー、おはよ。」
起きたての擦れた声で呟くと、自分に被さっている影がふと笑む気配がした。
それは春の桜の花びらを思わせるような色の髪をした青年だった。
久しぶりに会う彼は変わりなく、いつもの調子で挨拶をしてきた。
「…何をしてるんだ?」
少しずつ覚醒してきた頭でまずその事を聞いてみると、
「えー…夜這い?」
など、救世主は本気なのか冗談なのか解りかねる回答を寄越してきたので
銀朱は「馬鹿か!」と小さく一喝すると目の前の救世主の額を小突いた。
しかしここまでされるまで目が醒めないとは、自分はそれほどまでに疲れていたのだろうか。
もしくは救世主という存在があまりに自分の回りに溶け込み過ぎて違和感を感じることが出来なかったのか。
はたまた救世主が忍ぶ天才なのか。
どれにも当てはまるかもしれないが、それでもここまで油断してしまっている自分を銀朱は恥じた。
「イテ…あはは……あーやっぱタイチョーだァ〜久しぶりだなぁこの感覚。」
そう言って胸元に顏を擦り付けてきた。甘えるような態度。
その声を聞いて銀朱はふと違和感を感じた。その違和感を確かめるべく、ヘッドボードにあるランプに灯りを灯す。
すると今まで淡い月の光だけだった室内が火の光で明るくなった。
「……貴様…」
目が明るさに慣れるまでに数度瞬きをした後に目の前にはっきりと現れた救世主の顔を見て銀朱は瞠目する。
救世主の目の下には似つかわない隈が現れていたのだ。
「どうしたのだその顏は…」
銀朱が思わず救世主の顏に手を伸ばすと、救世主は避ける素振りなど見せずに、逆に銀朱の手に自ら顔を寄せてきた。
顏に手が触れると、そのままそっと色濃く出ている隈を親指でなぞる。
「はは…ちょっ…と最近夢見悪くてさ。あまり寝れてないの。
 で、寝れないから城ん中うろうろしてたら銀朱帰って来たって聞いたからさ。会いに来ちゃった。」
明るく振る舞っているようだが隈のせいもあって、どうもいつものような快活さが感じられない。
その痛ましさに銀朱が思わず眉根を寄せると、銀朱の真意を読み取ったのか救世主は小さく苦笑いをすると
するり、と銀朱の布団の中に潜り込んできた。
「おっ…おい!」
「いーじゃんいーじゃん。…わータイチョーあったかいなァ」
軽い口調で言ってくる救世主をいつものように退けようとしたが、先程見た救世主の疲れ切った目を思い出すと
強く拒否することが出来なかった。
いつもの何を考えているかわからない態度ではぐらかされることが多いが、救世主はこうやって知らずのうちに
不調を溜め込んでいることが稀にある。しかしこんなになるまで何を考えていたのか。
「…一体俺がいなかった間どうしたのだ。こんなになるまで放っておくとは貴様らしくないな。」
銀朱の体に纏わりつくように抱きついてきた救世主をやりたいようにやらせながら銀朱が問うと、
「…だから、眠れなかったんだって。タイチョーいなくて独り寝が寂しくてさ。」
これは、冗談のようで遠回しな本音だ。
銀朱にとってそれなりに長い付き合いになってきた救世主の嘘を見抜くのは容易かった。
「…わかった。好きにすればいい。」
銀朱は仕方ない、という態度で救世主ごとしっかりと布団をかけた。
その様子に救世主は瞠目した。
「…マジでいいの?」
救世主にすれば、いつものごとく銀朱に怒鳴られて追い出されるものと思い込んでいた。
しかし、怒られようとも銀朱に会っていつもの調子で少しでも話せたら今日は寝られそうだと思っていたのだが。
「そんな死にそうな顏しておいて、放っておけるわけなかろう。さっさと寝ろ。」
まるで母親がするように、銀朱は救世主の髪を軽く梳くと布団をさらに深く被せた。
その暖かさに救世主の目の奥が熱くなるのを感じたが、こんなところで涙を見せるなんてことは出来なかった。
「……ねぇ、あと一つだけ俺のワガママ聞いてくんない?」
銀朱の体にしっかりと腕を回したまま言ってみると、眠そうな目をしながらも銀朱が先を促している。
「子守唄、歌ってよ。」
「…はぁ?」
何事か、という顏をしている銀朱に、やっぱダメかなぁと思いながら、
「俺、タイチョーが歌ってくれたらちゃんと寝られそうな気がする。」
いかにも当てずっぽだが、それでも救世主としてはそれは本心だった。
子供っぽいワガママを言ってる自覚はあったが、不安定になっている今は銀朱に甘えたかった。
銀朱は少し思い悩んでいたが、やがて大きく一つ息を吐くと、
「…歌は得意ではないんだがな…」
そう言いながらも銀朱は静かに歌い始めた。音量も音程も少し低めに囁くように紡がれる音。
どことなく懐かしい感じのする、自分のために歌ってくれている優しい歌。救世主の心は自然と落ち着いてきた。
これで、自分はこれからも自分の中にある闇と戦っていける。
そう思うと、意識が霞んでいく感覚があった。今夜こそ、しっかりと寝られそうだ。
銀朱の歌を聞きながら救世主は意識を手放した。

「……うん?寝たのか?」
先程まで銀朱の歌に合わせるように頭を動かしていた救世主の反応がなくなったので顏を覗きこむと
しっかりと熟睡してしまっているようだった。
いつもは斜に構えたような態度を取り銀朱をからかって遊んでくる救世主だが、
こうやって静かに眠るその顏はあどけないといっても過言ではないほど幼かった。
銀朱は思う。いつもの飄々としたような顏、先程まで見せていた少し弱った子供のように甘える顔、
ふとした時にどこか遠くを見て、まるで消えてしまいそうな顏。どれが救世主の本物の顏なのかと言えば
どれも本物の顏なのだろう。彼が『救世主』という存在故きっと内面に抱えているものは大きい。
それに立ち向かう為、自分が少しでも力になれることがあるというのなら協力してやりたい。
この想いが、どういうものなのかは今はわからないけれど。

「……いい夢を。」
最後にもう一度桜色の髪を撫でると、銀朱も救世主の隣にしっかりと潜りこみ、
自分も瞼を閉じて眠りについた。
明日には、彼がいつものように飄々とした顏で自分に笑いかけてくれることを祈りながら。















救世主に甘い銀朱。(笑)救世主の顏を撫でるとか似合わなくて自分で描いてて笑えます。(どうなの)
救銀のつもりだったんですけどなんか銀救のようになってますね…(笑)うん。まぁ救銀救ってカンジでひとつ。
個人的には精神的リバはばっちこーい!なヤツなのですけど皆さんいかがなものだろうか。
というかまぁ私としては銀朱は救世主よりも精神的には強いと思ってるので…
精神的に脆い救世主を包んであげられるほどの包容力をもってる銀朱(でも受)ってのがとても萌えます。

ってかPD設定の大は春告げの未来救世主とは別なのか同一なのかってのがちょっと自分の中では不確定なのですが
今回のは一応春告げver.で書いてみました。ちなみに基本的には別の未来救世主設定で書いてます。何となく。

2006.11.24